昭和四十八年十一月十日 朝の御理解

御理解第五十三節 「信心すれば、目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ。後て考えて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者じゃ。」


 大変に難しい御理解だと思います。私は信心すれば眼に見えるおかげより、眼に見えぬおかげが多いという信心がわかるという事。
 それには眼に見えるところも大事にせなければなりませんけれども、眼に見えないところを大事にする信心からしか、本当のものは生まれて来ないと思うですね。
 この御理解の中心はいつも私は、あれもおかげであった、これもおかげであったとわるようになると本当の信者だというふうに言っておりました。
 あれというのは過去の事、これはいうは現実に私共が踏んまえておる、例えば難儀なら難儀と思うておる事でも、それは実を言うたらおかげなんだと。もう確かにそうなんですけれども、その内容としてです、私は本当の信者じゃと教祖は教えておられる。本当の信者というのは、私は信心すれば眼に見えるおかげより、眼に見えぬおかげが多いという事がです、わからなければこの有難いとういものが、いわゆる氷山の一角のところだけしか見えてないのですから、本当の有難いというものはわかりません。そういう眼に見えぬおかげがわかる為にはです、私は信心すれば眼に見えんところを大事にする。
 もちろん眼に見えるところも大事にする。やはりお徳を受けたといわれる方達はむしろ眼に見えないところをかえって大事にされたという感じが致します。
      ※      ※      ※      ※      ※ 歌舞伎十八番の勧進帳がありますね。皆さん御承知の通り、あの有名な山伏問答、もう今のより一時代前に、今の幸四郎のお父さんであります、先代の松本幸四郎、それに十五代の羽左衛門、それに六代目菊五郎の富樫、弁慶、義経、もうこれは後にも先にも、こういう名優は出るまいといわれる程しに立派だったそうですね。
 中でも六代目がつとめます、義経は山伏問答のあっておる中を向こうを向いておるわけです。お客さんに背中を見せている。
 それでいてです、その問答の中に、一喜一憂せにゃおられんところの、もうこれで終わりかというところがあるわけでしょ。それを義経本人自身がですね、いわゆるお客さんに背中しか見せておらんのにもかかわらず、その一喜一憂が背中に表れたといわれております。という程しに大変な演技だとこういわれております。
 もう演技だけではない。心の問題だとこう言われて、もうあんな義経は後にも先にも出るまいとまあ言われる位。
 これも直侍の入谷田圃(いりやたんぼ)のところの一場面があります。もう辺り一面雪景色で、そば屋にそばたべに来るところがありますね。三千威に会い来るところその時も十五代羽衛門それに先代梅幸、それから名人と言われた松助と言われた脇役の名人がおりました。そういう時代の、その人達のお芝居というものは、もうそれこそ天下一品だと言われておりますですね。
 とくに松助が演ずる丈賀と言われる座頭ですね按摩です、按摩の役なんかというものは、それは大変なやっぱり名人だったそうです。
 そば屋に入る前に本当にもう、手が縮む。もう本当に寒いものが観客に伝わってきたそうです。その人の恰好だけで、それから熱いそばを頂くわけなんですけどね、段々、段々熱いそばを食べて温もってくるのがね、観とる者も、冷たい寒いを感じておるところへ、その丈賀がそばを食べておると段々温もってくるのですお腹の中から、温もってくるのが観客に伝わったといわれます位に名人だったそうです。
 私は思うのですけど、これも信心の名人と申しますかね、お徳を受けるというもうこれは形だけの事ではないという事です。それこそ表に現しておる事だけじゃないということです。おかげを頂いておられると、それを見てだけなら合楽の先生は、よほど偉いとじゃろうかちゅうて、お徳を受けちゃるとうじゃろうというごとある。
 ところがです、合楽教会の内容というもの、又は御信者さんが、おかげを受けておる。その垢抜け具合というもの、これを思う時にです、本当に形の上ではおかげを頂いておるけれども、まだその内容に於いては、貧弱なものだあという事である。
 私は今日、それをしみじみ、つくづく感じました。それはやはり眼に見えるおかげより、眼に見えぬおかげがわかるようにならないと駄目です。
 背中を見せとるけれどもです、それでいて、その一喜一憂が背中に表れてくる程しのもの、本当に寒い時には、本当に見とる者までもが寒うなるような感じ、そしておそばを頂いておる。その丈賀の段々熱いおそばを頂いて、お腹の中から温もってくる それが観客に伝わるという程しの、いうならば、名演技、もうこれは形のことなら誰でも真似が出来る。今の役者でも結構やっぱり、松助の流れなら松助の流れをやってるし、なら勧進帳の義経でもです、寸分違わぬように形だけはやっている。けどもう、観客の方へそれが一喜一憂伝わってくる程しのもの、大体あれは山伏問答のところだけで、お客さんはあれしてますよね。けどちょっと横を見るとその義経が、何時ばれやぁせんじゃろうかと思うて、舞台の向こうを向きながら、お客さんには背中を見せながら一喜一憂しているその姿が又素晴らしい。
 それか表情とか体を動かすわけじゃないですから、向こう向きなのですから、それでいて、一喜一憂が表れておったという程しの、私はそういう信心にあこがれを持たせて頂くようなおかげを頂かなければならないなあと今日は、今朝しきりにその事を思わせて頂いておったら、この五十三節ですから、いつも私が皆さんに聞いて頂くものではなくて、一番根っこのところ、信心すれば眼に見えるおかげという事、そこには眼に見えるところよりも、眼に見えないところ、人にわかるところより、わからんところを本気で大事にさせて頂くような、信心させて頂くところからです、いわゆる最後のところにそういう信心が出来るようになったら、私は本当の信者じゃという事だと思うです。
 言うことだけはもう、むごういわっしゃる。もう形だけはピシャリ、けれども内容が貧しかったり無かったり、内容がそれとは裏腹であるようであってはです、如何に形の上で出来たようであっても、それは私は、真の信者とはいえないと思う。
 お互い真の信者を目指したい。それには眼に見えるおかげより、眼に見えぬおかげの方が多いとおおせられる。その多い方がわかる信心を頂きたい。
 そこにはもう自ずとです有難いという事ばっかりになってくるでしょう。眼に見えないところに、それも、あれもおかげ、これもおかげと一切をおかげとして頂ける信心。これをね、厳密にこの辺のところを申しますとです、自分のお粗末の為に御無礼の為に難儀を受けておると致しましょうか。それをその場で果して、おかげと頂けるだろうか。それは頂く方がおかしいのです。自分のお粗末、自分の御無礼、自分がそれこそ裏表のあるような生き方をさして頂いておって、困った事、難儀なこと、痛い痒いが起きたとするが、それをああ有難いで済むだろうか。
 まあわかりやすく言うならば、自分で罰かぶっとってから、それこそ、火の車作る大工はおらねども、己が作りて己が乗るなりであって、自分自身が火の車に乗っておる時に、ああ有難いといえるだろうか。もし言うとするなら、それは嘘なんだ。あれもおかげ、これもおかげと即それを神愛と受ける事はそこに、自分の裏表のあった事を気付かしてもらい、眼に見えないところをお粗末にしておったところを、詫びさして頂くところから、もうその御詫びの信心が出来る。これはもう、そこを通らなければ、こげな信心は出来んという信心が出来たとき、はじめてです、この事はお粗末でした、御無礼でしたけれども、その為にこのような難儀もいたしましたけれども、おかげで信心が出来ました。
 おかげでそのことを改まる事が出来ました。それはもう取り返しのつかないようなお粗末御無礼ばしておりましてもです、取り返しのつかないようなこういう難儀を形状したそこに苦労がある、苦悩のあったけども、そのおかげでそのお詫びのしるしにお詫びの為の本気での、普通では出来ん信心ができた時に、私ははじめておかげでこげな信心が出来ますという事になるのじゃないでしょうか。
 その時はじめて、これもおかげであったという事になるのです。あれもおかげであったという事になる。私はまずは信心さして頂くもの、これはもう当然の事ですけれども眼に見えるところは大事にするけれども、眼に見えないところをお粗末にする。 これがもう信心になっいないのですから、心がけさしてもろうて、人が知らんというても、眼には見えないというても、そこを大事にさして頂く時にこれは何というでしょうか、これは自分だけで喜べれる心の状態というかね、これは皆さん体験をなさっていると思うですけれども、すべての点にそこんところをね、誰も知らんところ、いわゆるかげ徳というのです、かげの徳を積むという事です。
 見えびらかしの信心じゃなくてです、それこそ自分自身が自分の心が喜べれる、拝めれるおかげを頂くことの為にです、いよいよかげの、眼に見えないところの信心をです、より一つ大事にさして頂くような、信心にならして頂かなければならん。
 そこから私は、それがそういう信心がです、段々、楽しみになるような、それが積もり積もってです、それこそ名人芸と言われるような、おかげも頂けるのじゃないでしょうかね。どうぞ。